風が流す昼下がりの刻み・・ ~ふえないアルバム~
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- 2019/08/16(Fri) 12:56 -
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![]() 洗濯日和となった午前、ハル兄と洗濯 厚手のジーンズが30分もしない内にカラッカラに乾いた・・ 洗濯物を取りこんでスクーターの火をいれる。 ガールズ チームはのんびり湖畔でくつろぎ・・ ボーイズ チームは朱鞠内湖畔の廃線跡深名線跡を辿る・・。 ![]() Lake Syumarinai, August 16, 2002, 11:24 ![]() Lake Syumarinai, August 16, 2002, 11:25 ![]() Lake Syumarinai, August 16, 2002, 8:24 ![]() Sta. Shirakaba, August 16, 2002, 13:24 ![]() Sta. Shirakaba, August 16, 2002, 13:22 ![]() ![]() 母子里クリスタルパークAugust 16, 2002, 13:36 (北海道 家族旅行 8月16日 2002 ルート、Google MAP) * 道道(林道)528号にもストリートビューカメラが入っていない様で航空写真でしか見れません。。。 * そして今回改めて航空写真で気が付いたのですが道道(林道)528号よりも内側にもう一つ道があった様です。 ![]() 1997年にとーたんがひとりで行った時の廃線後の朱鞠内駅舎とホーム * Tim McGraw "Thought About You" * Trace Adkins "Just Fishin' " * Florida Georgia Line "Blessings" * Backstreet Boys "No Place" * Loudon Wainwright III "Daughter" * Michael Franti & Spearhead "Good to Be Alive Today" (Acoustic Remix) ver. ▸ Standard, Album ver. * Kid Rock "Johnny Cash" ▸ Toyota Concert Series on TODAY ver. * Brad Paisley "Southern Comfort Zone" ▸ Acoustic ver.(Deluxe edition Album audio) ▸ Album ver. * Darius Rucker "For The First Time" * Luke Bryan "Huntin', Fishin' And Lovin' Every Day" * The Reklaws "Old Country Soul" |
1.17 ~置き去りにされた生と心~ (再アップ)
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- 2017/01/17(Tue) 05:46 -
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* 過去の日記の再アップです * ![]() 阪神・淡路大震災 Great Hanshin earthquake ~2日後から~ * 今日の日記は阪神・淡路大震災2日後から数週間の内容です。 自然現象である地震自体にはあまり触れず、すこし違う観点から書いております。 写真・動画を含め 読まれることでストレスを感じられるかもしれません。 ストレスを感じてしまいそうな方は必ずスルーして下さい。 写真・ビデオ画像は全て当時に爺ジ(父)と婆バ(母)が暮らす町近辺で撮ったものです。 (撮影場所:東灘、芦屋、芦屋浜、尼崎を主にR2国沿い、R43沿い) 1995年(平成7年) 1月17日(火) 午前5時46分52秒 紗礼さんの爺ジ 婆バが暮らす町で地震が起こった ![]() 東京のテレビで緊急速報が延々に流れる 空撮中継で次々と映る町並み その画面に映しだされるはまるでCGを駆使したハリウッドのパニック映画の様になっていた・・・。 これが今・・ 現実と理解出来ると体が締め付けられ呼吸が苦しくなった 何度も目を疑った・・ 空からの街並み、その中に見覚えのある町並みがあった 空から見たことがない町なのにそれは理解できた。 そこは爺ジと婆バが暮らす家のすぐ傍だった・・ 報道中継を確認しながら爺ジに電話をするも繋がらず・・ 池田に暮らすとーたん兄家にも電話をして見る 何度目かで繋がった電話口からは余震で兄嫁の叫び声が耳に飛び込んできた。 何時頃だったろう 爺ジとなんとか電話が繋がった。 電話向こうの爺ジはのんびりした口調だった・・・ その時期の仕事はたまたまとーたんでなくても進行出来る内容だけだった。 テレビ報道の画面から情報収拾しながら機材車をチェック。大抵のものは常備(*)しているので、加えてオフロードバイク、自転車、ポータブルトイレ、長期用キャンプ一式等々、思い付く物は手当たり次第に機材車に積み込む。 徐々に情報が増える報道を見ながら一夜が明け、ホームセンターが開店するやポリタンク、携帯トイレパック、ホッカイロ、乾電池、カセット式ガス、パイプヒーターを買出し、新たにカセットガス式小型ストーブも数台買い足し東京を発った。 通常なら新幹線を使って3時間半 速度が出ない機材車でも高速を使って8時間弱で行ける距離・・ 東名も名神も空いていた。 道中、東京の地名を付けた消防車やレスキュー車輌のコンボイを何組追い越しただろうか・・ 一体何処のインターだったろうか、京都を越したあたりだったろうか、強制的に高速を降ろされる事となった。 慣れない高速出口から地道に下ろされ暫く走ると被災地へ向かう幹線道路は大渋滞 幹線道を反れるも抜け道らしき山道や閑静な住宅街でさえ大渋滞・・ しかしその多く車は車内満員で音楽を大音量で騒ぐ若者の車が多かった・・・ どれくらいかかったろう、どこかで見かけた地形だと気が付くとそこはとーたんが生まれ少年期を過ごした町 宝塚だった。 そのまま宝塚を抜けて甲山・夙川コースで抜け、ニコク (R2)へ・・・ その時にはもうすでに陥没した道と遭遇していた・・。 真っ暗な車窓からは爺ジの家に近づくにつれ映しだされる現実に唖然とする 暗闇の時刻でも地震の巨大さは実感できた。 倒壊によって遮断される道、道路自体も至る所で陥没・・ 生きた街路灯は数少なく、真っ暗でヘッドライトだけでは突然の陥没は見つけられず慎重に車を走らせるしかなかった。 爺ジが暮らす町までどれくらい掛かったのだろうか・・ 東京からの道中、何度爺ジ宅へ電話しただろうか? 震災から一度繋がった電話、当時のアナログ回線の携帯でさえも全く繋がらなくなっていた。 昼前には用賀に乗った筈なのに爺ジ宅に着いたのは日が変わった真夜中、震災の翌々日だった。 爺ジと婆バが暮らす町にはいると一見被害は小さくも感じた が・・ 爺ジと婆バの家はすぐそこの所で目の前の高速道路は倒壊しヨンサン (R43)を越せず・・ 迂回して家にたどり着く、家自体は堪えていた。 ![]() 大きな木造の門は出入り口を塞ぐように倒れていた 爺ジも婆バも大丈夫だった 一軒の家でありながら 家族でありながら全く別の生活をしているふたり 庭先から掛けるとーたんの声に爺ジが応えてくれすぐに木製の頑丈な雨戸を開けてくれた・・ そしてとーたんの後ろに見える光景に口をあんぐりと開け周りを見渡す爺ジ・・ 実は怖くって表に出れなかったらしい・・ 婆バはいつもの感じで自己アピール一杯で登場してきた 海(入り江=通称「浜」)が傍だった爺ジと婆バのお家 紗礼さんもお散歩した入江からは赤く染まり踊る不気味な西の空が見えた。 赤黄青緑色と揺らぐ炎に照らされ真夜中であっても至る所で黒煙が上がっているのが確認できた・・・。 これは暫く東京へは帰れないな 暫くここに居ることになるなとすぐに判断できた。 ライフラインは全滅・・ 昼夜を問わず鳴り響く緊急車輌のサイレン・・ 真夜中でも家の上では物資輸送用なのか大型ヘリが常に着陸態勢をとり順番待ちのホバリングしていた 日に何度もお尻の下から突き上げる衝撃、そして垂直落下式ジェットコースターの様な余震はずっと続いた そんなまだ余震が続く中、町の復旧工事はすぐにはいった 家の傍では倒壊した高速道路の復旧作業は24時間体勢、 そんな振動は地面からの衝撃が工事なのか余震なのか区別が付かない日々が続いた。 24時間行き交うサイレン音・・ それに加えてツーローラー大型ヘリの振動・・ 地震でヒビがはいった家の壁や網入りガラスは更に日々広がっていった。 ![]() とーたんも爺ジも婆バもいつでも家を飛び出せるよう寝る時も外出の服を着ていた というよりも家の中とはいえ 寒くて防寒着を着ていないと耐えられなかった。 避難所に入れずブルーシートで屋外へ避難されてる方たちはこんな寒さどころではなかったろう・・・。 昼間はご近所の皆さんとガレキを整理、地震で湧き出た地下水を使ってご近所交代で洗濯・・ 爺ジの家はスーパーゼネコンが建てた鉄骨製のお陰なのか外観は壁面のコンクリ部分がフラッグ程度で済んでいた。 崩れたお隣さんとの境界ブロック塀の片付け、庭もあったので穴を掘っただけだが簡易トイレを掘り 出入りを塞ぐ様に倒れた無駄にデカイ木造門も機材車で何とか引き起こす事が出来た。 * * * 東から来る物資は爺ジと婆バの暮らす町でストップしていた。 西へ向かう物資輸送トラックたちは誘導されず立ち往生・・ 隣街では食料が足りない筈なのに役所の脇には食べられず山済みになった生食材・・ 役所ではボランティア志願者の人たちが有り余る食事を与えられても作業は与えられず溢れかえっている・・・ そこには名誉や肩書に縋りつく他責畑の単純労働者お役人たちが仕切っているつもりで実は空回りしている姿は、 都合のよい過去のデータを寄せ集め作りあげられたマニュアル(教科書)しか読めないのでは致し方がない・・ それでも念のため車や機材持込で登録をしてみた。 持ち出しの機材車を求めて数時間後にとーたんの携帯に連絡が入る。 ![]() 救助補助や怪我をされたご老人を離れた町で暮らすご家族宅への送迎・・ 全国から届いた有り難いた飲料水や食べ物、オムツ、乳児用ミルクなどを団地やマンション、小さな避難所、集会所へ・・ そんな移動中には勿論色んな方と出逢った・・ 海外から移住されてまだ慣れないのでしょう・・ 集会場を遠目に見つめる赤子を抱えた女性の姿 どうやら日本語が話せないらしく住人と解けこめず・・ そんな不安そうに赤子を抱っこするお母さんにも遭遇することもあった・・ 「オムツとミルクは足りていますか?」と差し出すもどうやらそれら食料や生活品を求めてはいなかった様で 「足りています」と言っておられるのかジェスチャー付きで微笑を見せてくださった もしかしたら家でちいさな赤子といるのが不安だったのかもしれない・・ 役所からのヘルプ以外では地元の人たちと共同で倒壊家屋を周り再度生存者の確認・・ 良くも悪くも多くの人たちと出逢う機会があった。 町は恐怖と不安が溢れていた・・ それは地震に対するものだけではなく これからどうやって活(生)きていけばよいのか・・・ 阪神淡路大震災 - 1週間が経った頃から見えた事 - 幾日か経ちあらためてビデオカメラを持って近所を周って見た。 記録しておかなければ・・ しかし風景撮り気分で三脚など持ち歩ける空間がそこにある筈もなく・・ 炎が上がる場所 煙燻る場所ではビデオをまわせなかった・・ それは避難所でもビデオをまわせる筈もなかった・・ ![]() 家を失い 職を失い 借金だけがのこる人々 家族に連絡が取れない人々 そして 家族を失った人々 みんな不安と悲しみという逃げ場のない恐怖で一杯だった・・・。 その空間の中 印象的だった情景があった 地方ナンバーの軽トラや小型トラックがポリタンクを数千円で売っていたり、 雑貨や食料の正価のケタに0を足して販売している光景があった・・ それでも地元の被災した個人商店たちは食料品雑貨などを下代や無料で配布・・ 客「そんなんアカンっ 受け取ってっ」 主「棚から落ちた品やから受け取られへんっ」 大手小売店やフランチャイズ店も別ではない、緊急(例外)の運送コストを掛け被災地に着いた時には賞味期限が切れ掛けているからと振り分ける・・ 倒壊を免れた夜の閑静な住宅街では奥様が自宅の門灯の明りで炊き出しをし 通り過ぎる人ひとりひとりに声を掛けている・・ 田岡組後の山口組五代目だって地下倉庫から物資や食料を放出し幹部、若い衆関係なく用品や炊き出しを配る・・ 電車が走れないねじれた線路上を辿り 他の町からリュックを背負い家族や知人が暮らす町を尋ねる人々・・ 繋がっている筈の道と線路を地名を尋ねながら歩く人々・・。 役所は行政の後処理作業にただ追われ 先回りして住民を守り活かす術を持たず、目の前に居る生き倒れでさえ対応しない 警察もただ自己アピールの陣地取りや履き違えた圧し権限(力)主張のみで未然に防ぐ事や目の前の救助でさえ意識を持っていない 生協でさえも一被災者へと立ち位置を変え要求ばかり 我が身を捨て信念を持ち続け 目の前の民へ捧げていたのは特装車が足りなくても水が足りなくても足を使って周る消防だけだった・・・ 苦しみ 不安 恐怖 そして悲しみの中を彷徨い 人々は必死で笑顔をつくる 「ワタシはええ アンタは大丈夫なんか?」 みんな必死で笑顔をふりまく ![]() 一軒の家がある ひとつの家族がいる 人が存して町がうまれる その町が街をつくる 倒壊した建造物 破壊した人工物 切断されたライフライン 震災は切っ掛けであり途絶えた多くの命は人災だったのでは・・・ 我が身を捧ぐ志と祈の叫びは届かない 政府は動いていた 元である人が暮らす心は後へと圧し退けられ 救援や支援、復旧という名を借りた再開発事業へ向けて・・ 震災から7年が過ぎ紗礼さんはこの地に足あとを残した。 その時はまだまだ民の情景には震災を切っ掛けとした傷が取り残されている姿が至る所にあった・・ 急を要して設置した個人のコンテナ住居、プレハブ住居、そして家主を待つ焼け跡の更地・・・。 【2017年版 ニューストピックス】 神戸新聞NEXT (神戸新聞DIGITAL公式) * 阪神・淡路大震災22年 災害への備え見つめ直す * 震災で長男亡くした女性の心情 新聞投稿重ね50回 * 「夢でいい、妻に会いたい」 震災遺族代表の言葉 * 震災22年、母校で語り部の一歩 神戸の29歳男性 * 震災からの再生願い「生」点灯 宝塚・武庫川 * 震災犠牲者悼む6434本のともしび 伊丹・昆陽 関西テレビ(KTV+Fuji News Network、FNN 公式) * 特番「この瞬間(とき)に祈る」 その1 * 特番「この瞬間(とき)に祈る」 その2 * 特番「この瞬間(とき)に祈る」 その3 * 特番「この瞬間(とき)に祈る」 その4 日本ニュース (NHK 公式) * 阪神・淡路大震災から22年 黙とうし犠牲者悼む NHK NEWSWEB (NHK 公式) * 阪神・淡路大震災から22年 教訓の継承が課題に TBS Newsi (TBS 公式) * 6000人以上が犠牲の阪神・淡路大震災発生から22年 MBS News (毎日放送 公式) 阪神・淡路大震災から22年 東遊園地追悼行事 Japan ニュース (読売新聞 Japanese Edition) * 22年も時間は止まったまま…各地で追悼 日テレ NEWS24 (日テレビ 公式) * 阪神・淡路大震災から22年…鎮魂の祈り SankeiNews (産経新聞 公式) * 阪神大震災22年 追悼の集い * 阪神大震災から22年 昆陽池公園で追悼のつどい * パノラマ動画 ANNnewsCH (テレビ朝日 公式) * 阪神・淡路大震災から22年 希望の祈りで光のメッセージ 朝日新聞デジタル (朝日新聞 公式) * 阪神大震災から22年 遺族らが各地で犠牲者を悼む 毎日新聞 (毎日新聞 公式) * 君の明かり、消さない 遺族、追悼のことば(神戸市追悼式) * 父子3人成長したよ 家族で遊んだ翌日、妻奪われた * 弟を守ろうとした母へ「見守っていて」 * 「伝えていく」弟を失った経験、後世に 【特設サイト】 震災報道の記録 (サンテレビ公式) 阪神・淡路大震災サイト (神戸新聞,NEXT公式) NHKニュースダイジェスト 阪神・淡路大震災 (NHK公式) * 当時の動画ダイジェストですので更にストレスが掛ると思われます。 阪神・淡路大震災「1.17の記録」 (神戸市公式) 1995年1月17日、阪神・淡路大震災 (The Huffington Post Japan with Asahi Shimbun公式) 阪神大震災 写真特集 (時事ドットコムニュース公式) 【1995年 当時の特番】 『鶴瓶上岡パペポTV ~笑わすことができない~』(読売テレビ 1995年1月27日放映コピー) (*)被災地で使えた機材車の常備一式:救急道具(箱)、車用整備工具類、屋外作業用蛍光灯、3.2kw/100Vゼネ、ガムテ、針金、ブルーシート、ジャッキ、ワイヤーガッチャ、ワイヤー(車輛牽引用ワイヤー)、ロップ、細引き、バール、バンセン、ハンマー、ナグリ、45角心木、シャベル、ディスクグラインダー、のこぎり、赤ガス用スチールタンク、カセットガス式ストーブ等々。 ※被災地で改めて欲しいと思い宝塚のホームセンターまで買いだしてきた物:6m角材(つっかえ棒等として使用)、重量=頑丈に加え加工しやすく万能でした。 ※念の為ハーネス類一式やノーメックスのスーツ一式も持っていったが、流石に使う事はなかった。 ※キャンプ道具は12V兼用温冷庫、ランタン、以外殆ど使う機会はなかったです。 ※ポリタンク(22L)を4つ買っていったが正味2つで足りた。 ※移動手段としては自転車も瓦礫の多い地域では殆ど使いものにならなかった。やはり荷物こそ制限されるもののオフロードバイクが一番機動力がありました。 ☆これらで足りたのはあくまでも爺ジ宅が倒壊を免れた事、爺ジが暮らす町が住宅街で更に冬場にも関わらず火災が少なかった事、その冬の冷たさが食料保存を延してくれた事、爺ジが暮らす町は何とかトラック物流が動いてくれていた事、比較的早くライフラインが復旧した事、そして何よりも被災者ご自身のご自宅お店が倒壊しながらも財産を投げ捨て奉仕して下さった個人商店/飲食店が多かった事等々が重なった状況での事です。 Background Song * Andra Day "Rise Up" * Whitney Houston "I Didn't Know My Own Strength" * Shinedown "I’ll Follow You" * Rascal Flatts "Here Comes Goodbye" * Deep Dark Robot "No One Wakes Me Up Like You" * Jamie Scott "Unbreakable" * Taylor Swift "This Love" > Ryan Adams ver. * Snow Patrol "Run" > Live at Oxegen 2009 ver. > Leona Lewis ver. * Ella Henderson "Yours" * Kid Rock "Cold and Empty" * Gary Barlow "Forever Love" * Kid Rock "Single Father" * Snow Patrol "Chasing Cars" > Grey's Anatomy Cast ver. > Rob Falsini ver. * Brooks & Dunn "The Long Goodbye" * Shinedown "If You Only Knew" * Hoobastank "The Reason" > Heather Headley ver. > Hoobastank Acoustic ver. |
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1.17 ~置き去りにされた生と心~ (改訂)
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- 2016/01/17(Sun) 05:46 -
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![]() 阪神・淡路大震災 Great Hanshin earthquake ~2日後から~ * 今日の日記は阪神・淡路大震災2日後から数週間の内容です。 写真・ビデオ動画を含め 読まれることでストレスを感じられるかもしれません。 ストレスを感じてしまいそうな方は必ずスルーして下さいね。 写真画像は全て当時に父と母が暮らす町近辺で撮ったビデオ動画から抜き取ったものです。 (撮影場所は芦屋を主に2国沿い、43沿い、尼崎、東灘、芦屋浜) 1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒 紗礼さんの爺ジ 婆バが暮らす町で地震が起こった ![]() 東京のテレビで緊急速報が延々に流れる 空撮中継で次々と映る町並み その中に見覚えのある町並みがあった お空から見たことがない町なのにそれは理解できた。 爺ジと婆バが暮らす家のすぐ傍だった・・ 電話をするも繋がらず・・ 池田に暮らす兄宅にも電話をして見る 何度目かで繋がった電話 兄嫁との電話中にも余震で叫び声が耳に飛び込んできた。 何時頃だったろう 爺ジとなんとか電話が繋がった。 電話向こうの親父殿はのんびりした口調だった が・・ 報道空撮で映しだされる爺ジの家の周りはハリウッドのパニック映画の様になっているのに・・・。 その時期たまたまとーたんでなくても進行出来る仕事内容だけだった。 テレビ報道の画面から情報収拾しながら機材車をチェック。大抵のものは常備(*)しているので、加えてオフロードバイク、自転車、ポータブルトイレ、長期用キャンプ一式等々機材車に積み込む。 徐々に情報が増える報道を見ながら一夜が明け、ホームセンターが開店するやポリタンク、携帯トイレパック、ホッカイロ、乾電池、カセット式ガス、パイプヒーターを買出し、新たにカセットガス式小型ストーブも数台買い足し東京を発った。 通常なら新幹線を使って3時間半 機材車はゆっくりで高速を使っても8時間弱で行ける距離・・ 東名も名神も空いていた。 道中、東京の地名を付けた消防車やレスキュー車輌のコンボイを何組追い越しただろうか・・ 一体何処のインターだったろうか、強制的に高速を降ろされる事となった。 慣れない高速出口から地道に下ろされ暫く走ると被災地へ向かう幹線道路は大渋滞 幹線道を反れるも抜け道らしき山道や閑静な住宅街でさえ大渋滞・・ しかしその多くは車内満員で音楽を大音量で騒ぐ若者の車が多かった・・・ どれくらいかかったろう、どこかで見かけた地形だと気が付くとそこはとーたんが生まれ少年期を過ごした町 宝塚だった。 そのまま宝塚を抜けて甲山・夙川コースで2国へ・・・ 真っ暗な車窓でありながら爺ジの家に近づくにつれ現実に唖然とする 倒壊によって遮断される道・・ 道路自体も至る所で陥没・・ 暗闇の時刻でも地震の巨大さは実感できた。 街路灯に頼っていた道は真っ暗でヘッドライトだけでは突然の陥没は見つけられず慎重に車を走らせるしかなかった。 爺ジが暮らす町までどれくらい掛かったのだろうか 道中何度爺ジ宅へ電話しただろうか? 震災日の一回から当時の携帯回線でさえもまた全く繋がらなくなっていた。 昼前には用賀に乗った筈なのに着いたのは真夜中、震災の翌々日だった。 爺ジと婆バが暮らす町にはいると一見被害は小さくも感じた が・・ 爺ジと婆バの家はすぐそこの所で目の前の高速道路は倒壊していた・・ 迂回して家にたどり着く、家自体は堪えていた。 ![]() 大きな木造の門は出入り口を塞ぐように倒れていた 爺ジも婆バも大丈夫だった 一軒の家でありながら 家族でありながら全く別の生活をしているふたり 庭先から掛けるとーたんの声に爺ジが応えてくれすぐに出てきた・・ そしてとーたんの後ろに見える光景に口をあんぐりと開け周りを見渡す爺ジ 実は怖くって表に出れなかったらしい・・ 婆バはいつもの感じで自己アピール一杯で登場してきた 海(入り江=通称「浜」)が傍だった爺ジと婆バのお家 紗礼さんもお散歩した入江からは赤く染まり踊る不気味な空が見えた。 赤黄青緑色と揺らぐ炎 至る所で黒鉛が上がっていた・・・。 これは暫く東京へは帰れないな 暫くここに居ることになるなとすぐに判断できた。 ライフラインは全滅・・ 昼夜を問わず鳴り響く緊急車輌のサイレン・・ 真夜中でも家の上では物資輸送用なのか大型ヘリが常に着陸態勢をとり順番待ちのホバリングしていた 日に何度もお尻の下から突き上げる衝撃、そして垂直降下式ジェットコースターの様な余震はずっと続いた そんなまだ余震が続く中、町の復旧工事はすぐにはいった 家の傍では倒壊した高速道路の復旧作業に24時間体勢、 その内地面からの衝撃が工事なのか余震なのか区別が付かない日々が続いた。 24時間行き交うサイレン音・・ それに加えて大型ヘリの振動・・ 地震でヒビがはいった家の壁や網入りガラスは更に日々広がっていった。 ![]() とーたんも爺ジも婆バもいつでもお家を飛び出せるよう寝る時も外出の服を着ていた というよりも家の中とはいえ 寒くて防寒着を着ていないと耐えられなかった 避難所に入れずブルーシートで屋外へ避難されてる方たちはこんな寒さどころではなかったろう・・ 昼間はご近所の皆さんとガレキを整理、地震で湧き出た地下水を使ってご近所交代で洗濯・・ 爺ジの家はスーパーゼネコンが建てた鉄骨製のお陰なのか外観は壁面のコンクリ部分がフラッグ程度で済んでいた 崩れたお隣さんとの境界ブロック塀の片付け、庭もあったので穴を掘っただけだが簡易トイレを作り 出入りを塞ぐ様に倒れた無駄にデカイ木造門も機材車で何とか引き起こす事が出来た。 * * * 東から来る物資は爺ジと婆バの暮らす町でストップしていた。 西へ向かう物資輸送トラックたちは誘導されず立ち往生・・ 隣街では食料が足りない筈なのに役所の脇には食べられず山済みになった生食材・・ 役所ではボランティア志願者の人たちが有り余る食事を与えられても作業は与えられず溢れかえっている・・・ そこには名誉や肩書に縋りつく他責畑の単純労働者お役人たちが仕切っているつもりで実は空回りしている姿、 都合のよい過去のデータを寄せ集め作りあげられたマニュアル(教科書)しか読めないのでは致し方がない・・ それでも念のため車や機材持込で登録をしてみた。 持ち出しの機材車を求めて数時間後にとーたんの携帯に連絡が入る。 ![]() 救助補助や怪我をされたご老人を離れた町で暮らすご家族宅への送迎・・ 全国から届いた有り難いた飲料水や食べ物、オムツ、乳児用ミルクなどを団地やマンション、小さな避難所、集会所へ・・ そんな移動中には勿論色んな方と出逢った・・ 海外から移住されてまだ慣れないのでしょう・・ 集会場を遠目に見つめる赤子を抱えた女性の姿 どうやら日本語が話せないらしく住人と解けこめず・・ そんな不安そうに赤子を抱っこするお母さんにも遭遇することもあった・・ 「オムツとミルクは足りていますか?」と差し出すもどうやらそれら食料や生活品を求めてはいなかった様で 「足りています」と言っておられるのかジェスチャー付きで微笑を見せてくださった もしかしたら家でちいさな赤ちゃんといるのが不安だったのかもしれない・・ 役所からのヘルプ以外では地元の人たちと共同で倒壊家屋を周り再度生存者の確認・・ 良くも悪くも多くの人たちと出逢う機会があった。 町は恐怖と不安でイッパイだった それは地震に対するものだけではなく これからどうやって活きていけばよいのか・・・ 阪神淡路大震災 -1週間経った時- 幾日か経ちあらためてビデオカメラを持って近所を周って見た。 記録しておかなければ・・ 風景撮り気分で三脚など持ち歩ける空間がある筈もなく・・ 炎が上がる場所 煙燻る場所ではビデオをまわせなかった・・ 避難所でもビデオをまわせる筈もなかった・・ ![]() 家を失い 職を失い 借金だけがのこる人々 家族に連絡が取れない人々 そして 家族を失った人々 みんな不安と悲しみという逃げ場のない恐怖で一杯だった・・・。 その空間の中 印象的だった情景があった 地方ナンバーの軽トラや小型トラックがポリタンクを数千円で売っていたり、 雑貨や食料の正価のケタに0を足して販売している光景があった・・ しかし地元の被災した個人商店たちは食料品雑貨などを下代や無料で配布・・ 客「そんなんアカンっ 受け取ってっ」 主「棚から落ちた品やから受け取られへんっ」 大手小売店やフランチャイズ店も別ではない、緊急(例外)の運送コストを掛け被災地に着いた時には賞味期限が切れ掛けているからと振り分ける・・ 倒壊を免れた夜の閑静な住宅街では奥様が自宅の門灯の明りで炊き出しをし 通り過ぎる人ひとりひとりに声を掛けている・・ 田岡組後の山口組五代目だって地下倉庫から物資や食料を放出し幹部、若い衆関係なく用品や炊き出しを配る・・ 電車が走れないねじれた線路上を辿り 他の町からリュックを背負い家族や知人が暮らす町を尋ねる人々・・ 繋がっている筈の道と線路を地名を尋ねながら歩く人々・・。 役所は行政の後処理作業にただ追われ 先回りして住民を守り活かす術を持たず、目の前に居る生き倒れでさえ対応しない 警察もただ自己アピールの陣地取りや履き違えた圧し権限(力)主張のみで未然に防ぐ事や目の前の救助でさえ意識を持っていない 生協でさえも一被災者へと立ち位置を変え要求ばかり 我が身を捨て信念を持ち続け 目の前の民へ捧げていたのは特装車が足りなくても水が足りなくても足を使って周る消防だけだった・・・ 苦しみ 不安 恐怖 そして悲しみの中を彷徨い 人々は必死で笑顔をつくる 「ワタシはええ アンタは大丈夫なんか?」 みんな必死で笑顔をふりまく ![]() 一軒の家がある ひとつの家族がいる 人が存して町がうまれる その町が街をつくる 倒壊した建造物 破壊した人工物 切断されたライフライン 震災は切っ掛けであり途絶えた多くの命は人災だったのでは・・・ 我が身を捧ぐ志と祈の叫びは届かない 政府は動いていた 元である人が暮らす心は後へと圧し退けられ 救援や支援、復旧という名を借りた再開発事業へ向けて・・ 震災から7年が過ぎ紗礼さんはこの地に足あとを残した。 その時はまだまだ民の情景には震災を切っ掛けとした傷が取り残されている姿があった。 『1・17のつどい』(神戸新聞DIGITAL公式) 宝塚の武庫川で「生」の文字ライトアップ(神戸新聞,NEXT公式) 阪神・淡路大震災から21年 各地で追悼続く(NHK 公式) 阪神淡路大震災21年報道特別番組「あの日を忘れない」(サンテレビ 公式) 【震災報道の記録】(サンテレビ公式) 『阪神・淡路大震災』サイト(サンテレビ公式) 阪神・淡路大震災サイト(神戸新聞,NEXT公式) 『鶴瓶上岡パペポTV ~笑わすことができない~』(読売テレビ 1995年1月27日放映コピー) (*)被災地で使えた機材車の常備一式:救急道具(箱)、車用整備工具類、屋外作業用蛍光灯、3.2kw/100Vゼネ、ガムテ、針金、ブルーシート、ジャッキ、ワイヤーガッチャ、ロップ、細引き、ワイヤー、バール、バンセン、ハンマー、ナグリ、45角心木、シャベル、ディスクグラインダー、のこぎり、赤ガス用スチールタンク、カセットガス式ストーブ(冬場のみ)等々。 ※被災地で改めて欲しいと思い宝塚のホームセンターまで買いだしてきた物:6m角材、つっかえ棒として等、重量=頑丈に加え加工しやすく万能。 ※念の為ハーネス類一式やノーメックスのスーツ一式も持っていったが、流石に使う事はなかった。 ※キャンプ道具はカセットガス式温冷庫、ランタン、以外殆ど使う機会はなかったです。 ※ポリタンク(22L)を4つ買っていったが正味2つで足りた。 ※移動手段としては自転車も瓦礫の多い地域では殆ど使いものにならなかった。やはり荷物こそ制限されるもののオフロードバイクが一番機動力がありました。 ☆これらで足りたのはあくまでも爺ジ宅が倒壊を免れた事、爺ジが暮らす町が住宅街にも関わらず冬場なのに火事が少なかった事、その冬の冷たさが食料保存を延してくれた事、爺ジが暮らす町までは何とかトラック物流が動いてくれていた事、比較的早くライフラインが復旧した事、そして何よりもご自宅お店が倒壊しながらも財産を投げ捨て奉仕して下さった個人商店/飲食店が多かった事等々が重なった状況での事です。 Background Song Rascal Flatts "I Won't Let Go" Alicia Keys "We Are Here" Daughtry "What About Now" Taylor Swift "Out Of The Woods" P!nk "Dear Mr. President" James Blunt "You're Beautiful" Leona Lewis "Footprints in the Sand" Whitney Houston "I Didn't Know My Own Strength" Alicia Keys "Doesn't Mean Anything" |
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