- ソロ キャンプ (家族が出来る前) -
シーズン時の和琴のキャンプ場はコールマンキャンパー(灯り族)やサンデーキャンパーが多い・・。
どちらかというと苦手なキャンパー層なのでシーズンオフに立ち寄る事にしているテント地・・。
朱鞠内湖とは違う自然湖の景観、そして少しの風でもさざ波を感じられ、
そしてオーナーのお人柄もあってとーたんのお気に入りでついつい連泊してしまうキャンプ場です。
別になーんにもしません、バイクに強引に積んだ通常サイズの折り畳み椅子に座って、インスタントコーヒーを飲みながら
ただただ湖面を眺めているだけ・・・。それこそ朱鞠内湖の様に釣り竿をたらすという事もしません。
あとは敷地内にある露天風呂に浸かるだけデス・・・。
ぐずついた日は観光客もすくないので、日中に露天に浸かる事だってありますが屈斜路湖の湯巡りもしません、
椅子から立ち上がる時は用を足す時とご飯を作る時、そしていもだんごを食べたい時・・。
(オーナーさんから頼まれ事があったり、初キャンプでテント設営に四苦八苦されてる人を見かけたり、
バッテリー上がりのバイクの押しがけを見掛けた時はさすがに動きますが。。。)
(町営キャンプ場の方ではありません、お気に入りは民営の湖畔キャンプ場デス。)
- キャンプ 2002 -
テント泊じゃないとついつい朝寝坊気味になってしまう・・。
和琴半島の朝は霧雨へと治まっていたと思う。
そんな朝の湖畔(キャンプ場)をのんびり歩きながら露天風呂へと・・
ママ用に水着は持ってきてはいたのですが、さすがに明るくなってからは露天風呂恥ずかしい・・
それに遅い朝なので人が入っていない・・(大勢で入れば怖くないが出来ない・・)
(夜空を見上げながらの真夜中風呂もするツーリング キャンパーたちも多く、朝風呂は基本早くて夜明け頃にはあがりだしています。)
(↑ 石鹸やシャンプー類を使い露天風呂や湖を泡だらけにされる地元の方がいらっしゃり、
そんな光景を見たくなく、早めの入浴をされるキャンパーが多いと思います。
まっ 明るくなってしまうと朝早く来られる観光客に見られながらというのも避けられないので・・。
因みにツーリング キャンパーの多くは(とーたんも含めて)石鹸やシャンプー類を使いたい時は 湖心荘をお借りしますが、
この辺りのどの施設(旅館)を利用しても屈斜路湖に垂れ流しなのでドコも一緒デス、念の為。。。現在は解りません。)
なので、半島をさらに奥へと入った小屋式の共同浴場へ・・。
が・・、めっちゃ熱くて入れる状態じゃない・・
先に風呂場にいらした地元の紳士も熱くて入れず、おひとりで風呂湯を掻き混ぜ棒で奮闘されていらっしゃいました・・。
ハル兄も湯温を下げるべく掻き混ぜ隊へ入隊し 地元の方と奮闘するも一向に湯温が下がる様子もなく・・
もしかしたら・・と 風呂小屋の外にある積止め(温度調整する土嚢や石)が外されているかもと見に行くと
案の定外、風呂桶の温泉は勢いよく湖へと放出されていました・・。そりゃあ風呂桶への源泉が止まらずお湯が熱いのは当然・・。
(あっついお湯が好きな方が積止めを外し、入浴後についつい土嚢を戻し忘れる事はよくある事デス。。。)
暫くして先にやっていらした地元の方は断念。。。
その後もハル兄ととーたんは粘って掻き混ぜたのですが、結果湯温は入れるまでは下がらずギブアップ、断念。。。
ハル兄はまだ続ける気満々でしたが、とーたんが制止。きっと家族皆で入りたかったんだと思います。。無念、泪。。。
そして露天風呂へもう一度戻ってみると 遅風呂の方が何人かいらっしゃり、釣られてハル兄ととーたんも入った記憶、
ママは服を着たままでもいいから、せめて足だけも浸かって欲しかったので、他の入浴者に出来るだけ失礼のない様、
ハル兄ととーたんの頭の間から足を突っ込んで貰った記憶、紗礼さんは一緒に入ったっけな。。。
その後は、和琴フィールドハウスだったかへ・・。(当時は和琴半島自然教室とかいう名称だったような・・。)
紗礼さんたちとは行ったその建物は当時、駐車場から半島へ歩き、左側にあった記憶でしたが、
この日記を切っ掛けに改めてグーグルストリートビューや航空写真で見てみると右側に?
しかも記憶よりもずっと手前にあって記憶よりも大きい建物に・・・(とーたんの記憶違いでしょうか。。。)
※とーたんの記憶違いではなかったようでした。グーグルアースで過去の航空写真画像を再確認すると・・
2011年には確かに記憶通りの場所に建物があり、そして現在の立派な和琴フィールドハウスという建物はありませんでした・・。
という事はまたひとつ 紗礼さんとの空間がなくなってしまったんだと・・・。
更にストリートビューで周囲を見渡すと民宿 めぐみや(大人気であったライダーハウス)も建物ごと無くなっていました・・・
とーたんは利用した事がないのですが、一見、古い・狭い・設備なしの建物ですが、シーズン中はそんなに泊れるの?
という位、バイクが隙間なく宿を取り囲み、宿泊客(ライダー)の満足そうな笑顔を見れば大人気宿だと解るお宿でした。
ググってみると その人気宿のオーナーであったご年配のお母さんが他界されていたとか・・、
その後は旦那さんがおひとりで運営をされ続けていらした様ですが、その旦那さんも他界され2013年に閉館されたらしいです。
先に記しましたが、とーたんはこの宿を利用した事がないのですが、実は湖畔にテントを張り連泊していたある日、
散歩中に宿の前を通りがかったらお母さん(オーナーさん)に「ライダーさんかい?」と声を掛けられました。
「あ はい、こんにちは・・」と返すとちょっと待っててと奥からゆで卵を持って来られ
「食べなさい(ちょっと言い方は違ったかもしれないケド)」って 頂いた事がありました。
よほどとーたんがひもじそうにみえたのでしょうか? 笑、今でも力強く布団を干すとっても気さくなお母さんのお姿が思い出されます。
あ・・ そういえば湖畔キャンプ場と湖心荘のオーナーさんからもルイベやアスパラを差し入れて頂いたり、
寒い日に裏の食堂に呼ばれて茹でたてのブロッコリーを頂いた事もある・・。
とーたんって そーんなにひもじそうに見えるのでしょうか 笑。。。
そして[「いもだんご」の
お土産屋さん2軒は健在。(クッシーも残ってます)
ググったら2軒とも「みどりや」だったとブログ記事(2017年)に記されてある・・、たしか左側のお店は「みやざき」屋だった筈・・。
'90年代の時にはすでに後継ぎの問題をお父さんからは伺ってはいたのですが。。。
そのみやざき屋さんの"いもだんご"は道内一おいしいと みんなにも食べて貰った記憶。
(以前にオーナーさん曰く、2軒とも同じ団子と伺った記憶があるので もしかしたら焼き方なのかしら・・ なのであくまでもとーたんの感想デス。。。)
(先に記した民宿 めぐみやのおかーさんが作るいもだんごも絶品だとよく耳にしたケド、とーたんは泊った事がないのでその味を知らない。。。)
焼きあがるのを待っている間はこの"道内一優しくまったりとした"駄菓子屋の様な店内でハル兄と何か掘り出し物はないか物色・・
そんなこんなでのんびりし過ぎた和琴半島を出発・・。
(2005年の同日、とーたんひとり旅で行った時には、和琴半島の散策路をはじめて周ってきましたが、
テッペンからの眺望や日によるらしいのですが、勢いよく噴出している原泉も見れて予想以上に良かったデス。
過去に幾度か連泊していたのにもかかわらず行かなかったのは、ミツバチ学生族から聞く感想がいつも今ヒトツで・・
ついつい足が遠のき行かずじまいだったのですが、やはり自分の足を使って自分の目で確かめて見るものです。。。
その時には、湖心荘にもはじめて宿泊してみました。とってもきれいなお部屋で更に
飛び込みだったにも関わらず、食べ切れる筈がないアホみたいな量の御飯を頂きました 笑。)
* * *
阿寒湖はとーたんが以前に来た時よりもずっとずっと前、ママは10代の終わりだか20代前半にバイクで来た事があった様で、
とーたんから見ればママは大先輩デス。(阿寒湖の土産店街でバイクに跨っている写真も見せて貰ったよ)
そして今回は「おねだりきつね」が一番の目的。前年に来た時はママと紗礼さんととーたんの分だけ・・
ハル兄は来なかったので、敢てお土産として買わなかった。
来年(この年2002年)は必ずハル兄を連れて来て、その時にハル兄自身が選んで楽しんで貰おうと思っていました。
今年は念願叶って家族揃って4人の分を選べた。紗礼さんの分は一番反応が良かった(微妙?)のを選んだつもり。
またいつか来れる日がある時はまた買い足していきたいと・・。
それぞれがお気に入りのおねだりきつねを選び、そして名前と日付けを書き、増やしていきたいと・・。
そしてマリモも家族4人、4つのマリモ探しをしてひとつひとつ手にとって選べるお店を探し歩き・・
たしかアイヌコタンのお店でみんなでひとつひとつ選んだね。
紗礼さんの分はみんなが代わりにあれでもない これでもない、いや それじゃないなどと厳選した。
アイヌコタンのテッペンの裏手、国道240から見える位置に「
阿寒湖温泉アイヌシアター イコロ」という立派な建物が2011年に出来たみたいです。今までの雰囲気のある古式舞踏場?はどうするのでしょう。
というかたしか、家族で行った時に古式舞踏場で踊り始まるとかで是非見てみようと(とーたんもママも観た事がない)・・
そんな話しをしたけれど。 ん~・・ とーたんは内容を全く憶えておらず・・ もしかしたら結果的には観なかったのかな。。。
オンネトーでは、また土砂降り・・。誰も車から一切出る様子もなく、日帰り温泉宿も一瞬迷いましたが通過・・・。
(とーたんは道路脇の林に入り、落ちている白樺の枝拾いをしたぐらい。。。)
* * *
足寄駅へ立ち寄る。その足寄駅は2006年の4月、ふるさと銀河線の廃線に伴い、
鉄道駅として引退となってしまいました・・・。
(道の駅としては現在も継続されている様です。)
その2006年の運行最終日、東京のテレビでも特番でライブ中継され とーたんは家族と立ち寄った日の事を想いながら観た・・。
そして翌日ニュースでは最終列車運行を終えた翌日0時からはじまったレールの撤収作業様子映像も流れた時には、その早さにとーたんは更にショックを受けた・・・。
そんな足寄駅は2011年に駅舎跡内部を旧足寄駅の歴史を蘇らせるテーマで大規模なリニューアルをしたらしく、見ごたえのある駅舎跡となった様です。
また、同じ路線であった陸別ではレールを撤去しておらず、今は期間限定の観光軌道として数キロ区間を
ふるさと銀河線として運営しているらしいです。
(因みにとーたんはふるさと銀河線のイベントとかで乗客にだけ配られたらしい記念タオルを持っていますデス。
というのも 紗礼さんたちと訪れるずっと以前、まだ木造駅舎の時や駅舎が建て替えられた後にも車やバイクで訪れた事があったのですが・・、
駅が建て替えられてまもなくだった頃、何の気なしに記念にと入場券(硬券)だけを購入した時に窓口にふるさと銀河線のタオルが飾られており、購入したいと伝えると
駅員さんは「これは以前に行ったイベントでの記念タオルで そのイベントでご乗車して頂いたお客様にだけお渡しした記念品を貼っているだけなんですよ・・」と教えて下さりながら・・
何かごそごそと漁っておられると思ったら、なんと「一枚残ってました」と 入場券を購入して下さったのでど-ぞ・・って。
どーだ~ いいだろー 笑。あ・・ くどい様ですが、とーたんはあくまでも鉄ちゃんではありません。。。)
* * *
この後は一路旭川方面へ
道の駅ががあれば立ち寄ってハル兄のスタンプラリー帳に印♪。
ハル兄が爆睡している時はとーたんが代理で。。。
富良野は通過し 美瑛北西の丘で車泊。
* * *
この旅ではハル兄は道の駅スタンプラリーなどにスタンプをガンガン押していく事が使命だった。
そして一日一行でもいいから日記を書く事を命じられていた・・ 笑。
(ママは道の駅マグネットを買い集めていた。。。)
実は、先に記した今日のルートには含まれていませんが・・
北見の
道の駅おんねゆ温泉と
北海道きつね村(2011年閉鎖)へ立ち寄った記憶があるのです・・。
道の駅でママがお手洗いに行っている間、ハル兄と道路状況を確認したりソフトクリームを食べたり、
現在は閉鎖になったらしいきつね村でママがお土産を漁っている間ハル兄とメロン牛乳を飲んだ記憶、
層雲峡にも一瞬だが立ち寄った記憶が結構鮮明に残っているのですが・・、
地図をどう見ても立ち寄れない場所(他に残っているビデオ(時刻)等の記録から見ても・・・。
この事は2005年にとーたんひとりで家族との地を周った時にもすでに混乱していました。。。どうしてもルートが解らない・・
2001年紗礼さんがお腹に居る時のママと菅野(かんの)温泉へ行った後に阿寒湖へ立ち寄った後かなとも思ったけれど
狩勝峠の展望閣あくつに立ち寄った記録もある・・。それらは皆とーたんの妄想なのでしょうか・・・。
家族との想い出を少しでも多く思いだしたい・・という願望が作りだした妄想なのでしょうか・・・。
実はハル兄が苦心の作であった道の駅のスタンプラリー帳を引越しを切っ掛けに何処かへ埋もれてしまい見つからないのです。。。
もしスタンプ帳にスタンプを押していればコースが何となく出てくる筈なのですが・・。
2002年の道の駅スタンプ帳におんねゆ温泉のスタンプが押されているのか・・・。