【北海道家族旅 2002. 足あと表 ver.】 ~今日の事は今日 明日の事は明日決める旅~
2002.08.10 東京(マンション)~青森港 (フェリー/車泊) ・明け方北海道へ向け家出発
・東北道青森インター、日暮れ頃到着
・某公共施設で装飾されていたねぶた祭りの金魚風船をハル兄がゲット♪ そっと?分けてくださった(笑)
・青森日産でエアコン確認
・貨物船もキャンセル待ち状態 ※雨が降り出す
・代わりばんこでラーメン(店内が狭いので交代で紗礼さんと留守番)
・車内で皆仮眠(とーたんはキャンセル呼び見張り番)
2002.08.11 青森港~函館~新冠 (車泊) ・真夜中にやっとこさ乗船(一般客船ではないので車内で睡眠)
・早朝函館入り
・函館朝市(朝ごはん)、はこだて明治館、金森倉庫、八幡坂
・JR大沼公園駅(大沼散策、フレンドリーベア)
・洞爺湖駅(休憩)
・深夜?新冠着 サラブレッド銀座通り入り口駐車場(サラブレッド銀座駐車公園)車泊
2002.08.12 新冠⇔静内~~富良野 (車泊) ・とーたんが仕事の練習でお世話になっていた馬屋へ当日予約
・予約時間まで道の駅でママのお土産買い
・ハル兄とママ初めての乗馬。初歩レッスン+トレッキング。(紗礼さんはとーたんにダッコされてお留守番)
・何を目的に行ったのか何故か静内へ(カー用品店、100均ショップダイソーなど)
・二風谷、占冠、狩勝峠展望閣あくつ (ドライブイン)
・日替わり時刻近くに富良野着(静かな駅前で凄くハイテンションだったママ♪)
・セイコーマートでおでんなどを買って晩ご飯(※現在セイコーマートはない)
・富良野駅横の公園駐車場で車泊
2002.08.13 富良野~旭川 (ホテル泊) ・「北の国から」資料館
・富良野物産センターなどでお土産散策
・北時計 さん(現:「あかなら」)へ子どもたちを紹介
・ニングルテラス(また後日来る予定だったのでこの日は買い物なし?)
・湯らん銭 (旭川の銭湯)
・イシザキファミリー宅
・ホテルパコ旭川泊
2002.08.14 旭川~朱鞠内湖 (テント泊) ・旭川駅構内散策
・永山ウェスタンパワーズ、フィッシュランド(食材買出し、釣り道具など補充)
・士別ホーマック(買い忘れ確認)
・朱鞠内駅舎跡地(朱鞠内バス停/朱鞠内コミュニティー公園)で寄贈旅ノート記入と記念写真
2002.08.15 朱鞠内湖 (テント泊)2002.08.16 朱鞠内湖 (テント泊) ・ハル兄ととーたん手洗い洗濯
・ハル兄ととーたんプチ(林道)ツーリング JR(臨)白樺駅:廃線廃駅跡地(母子里クリスタルパーク)
・ツーリングから帰ってくるとママと紗礼さんの姿なし、キャンプ場一帯を探すとコインシャワーですっきりしていた
・コインシャワー小屋からテントまでスクーター3人乗り(もしかしたら紗礼さん、スクーター初乗り?)
2002.08.17 朱鞠内湖 (テント泊) ・岩尾内湖散策
・帰り道「絵本の里」という看板を見つけて急遽剣淵町へ入るも関する施設も見当たらず裏道を探しながら朱鞠内湖へ戻る
2002.08.18 朱鞠内湖~稚内 (車泊) ・連泊した朱鞠内湖畔キャンプ場もこの日に稚内へ向けて出発
・美深駅でウサギの絵本を衝動買い
・トロッコ王国(エラク時間が掛けて行ったけど満員御礼状態で断念、Uターン。)
・道の駅 美深でママのお土産選びがはじまった(笑)
・道の駅 音威子府で小休憩(クワガタのメスが駐車場でお散歩していた。)
・幌延ビジターセンターなるものを発見、立ち寄ってみる。
・館内に置いてあった旅ノートに記入
※2005年同日にとーたん独りで行ったら 事務所に大切に保管されていました。2005年も記入。
・風車が見えたが立ち寄らず。
・「お風呂に入りたい」とママが地図で見つけた兜沼公園キャンプ場(おそらく)へ寄り道
紗礼さんはとーたんとハル兄と一緒にお風呂 ※現在はお風呂施設はなくなったようです
とってもとってもご機嫌にお風呂に入っていた紗礼さんの姿に他のお客さんもニコニコお風呂場全体がにこやかに♪
ご満悦だった紗礼さんだけど さすがに逆上せが心配でお風呂を出る(笑)
・ノシャップ寒流水族館へ立ち寄ったと思う(夜到着なので入ったわけではない)
・稚内駅と駅前をぶらり
・真っ暗な宗谷ふれあい公園へ。宿泊候補であったキャンプ場へ行くも混雑していて却下。
(真っ暗なお土産屋の前で少しふざけて遊ぶ)
・市街地に戻りノシャップ寒流水族館へ向かう道中で晩御飯買い出し
・ノシャップ寒流水族館に車を止め今日は車泊 Zzzz...(潮風で夜中中車が揺れていた)
2002.08.19 稚内~枝幸 (テント泊) ・朝釣り。家族全員入れ食いにみんなhappy。
・ノシャップ寒流水族館、宗谷ふれあい公園
・宗谷岬、お土産屋で黒百合(球根)、ゴマフアザラシTシャツ(紗礼さんの)など
・猿払、枝幸ウスタイベ千畳岩でテント泊
・枝幸スーパーへ晩御飯買い出し
2002.08.20 枝幸~屈斜路湖和琴半島 (車泊) ・台風の中、笑いながらテント撤収。
・出発してすぐに睡魔に襲われるとーたん、運転を変わるママは鼻歌で上機嫌ドライブ
・道の駅紋別
・キムアネップ岬(ちょっと立ち寄っただけ)
・サロマ湖 サンゴ岬へ立ち寄るも雨、快晴だとさぞ綺麗な光景だったと思う
・道の駅サロマ湖
・サロマ湖
・網走監獄に入場時間終了後着、が・・ 中に入れちゃってしっかり満喫。
・ ハル兄とママに見せたかった歴史館?だけはさすがに無理だった。
・屈斜路湖和琴半島へ
・湖心荘でお風呂、雷雨でテントを諦め車泊
2002.08.21 屈斜路湖和琴~帯広経由美瑛 (車泊) ・和琴半島露天風呂、散策、阿寒湖へ
・阿寒湖お土産散策(阿寒湖アイヌコタン)
・オンネトウ(散策)
・足寄駅・・
※この辺りから2001年のルートの記憶とゴチャゴチャとなって記憶が曖昧・・
※2002年はおそらく帯広経由、占冠、JR幾寅駅、富良野
・おそらく美瑛北西の丘駐車場で車泊
2002.08.22 美瑛⇔富良野~旭川 (ホテル泊) ・美馬牛駅ぶらり
・拓真館(DVD2巻購入)
・丘めぐり
・上富良野ジェーットコースターの道
・冨田ファームさん
・北時計 さん(現:「あかなら」)
・麓郷の森、石の家
・ニングルテラス(ハル兄:手作りミニナイフ・ママへの手作りブレス、他)
・湯らん銭 (旭川の銭湯)
・イシザキファミリー宅
・ホテル泊
2002.08.23 旭川~函館方面 (移動中車泊 ※とーたん以外) ・美瑛(朝から昼下がりまでたっぷり時間を掛けて丘巡り)
・富良野駅でハル兄(お小遣いで)とママは宝くじ購入
・地道で行けるトコまで行こうかとのんびりと函館方面へ夕方出発(R274石勝樹海ロード ※道の駅樹海ロード日高?)
・道の駅フォーレスト276は楽しいので家族と入りたかったが営業時間を過ぎ真っ暗な外観。。。
・どこから道央道に乗ったかは記憶忘れ
2002.08.24 ~函館~青森~東京方面 (移動中車泊 ※とーたんもSA=Pで仮眠) ・朝、函館着
・目一杯、お土産屋散策
・思い残す事はないか家族再確認しながらフェリーターミナルへ
・フェリーターミナルで最後のお土産探し
・函館→青森 14:50発 20便 『ほるす』乗船
・『ほるす』記念メダル購入
・一般客船の快適さを知る(2等室でも快適に爆睡)
・フェリー内でハル兄が旅人の外人さんの友達になる
・青森港着(青森港に降り立つとそこは内地独特の湿度が身体に纏わりついた)
・JR青森駅構内と駅前市場をのんびりとお土産散策(ねぶた祭りの小さな吊り提灯?購入)
・東北道津軽SAででっかいりんご菓子購入
・少し走っては睡魔に苦戦しながら休憩ばかりの帰路
2002.08.25 ~東京(マンション) ・昼過ぎ?宇都宮(ママの実家)の爺ジ婆バの家へ
宇都宮の爺ジの慶びはいうまでもなく いつも玄関先でハイテンションで迎えてしまう
そして紗礼さんは毎回の様に泣き出してしまうのが恒例・・
暫く経つと泣き飽きた紗礼さんは凹む爺ジに笑顔を振り撒く光景に至福を感じる。
・東京(マンション) 夜8時頃帰宅
・自分たち用だけでコンテナBox満杯になったお土産に皆 ニンマリ。
・取り合えず荷物は部屋の壁に寄せるだけ、明日からの最小限の荷物だけ仕分けしてお疲れさま?
(2001年の8/25はかんの温泉に泊まっていた)
※2002年に道の駅おんねゆ温泉(北見)と層雲峡へ立ち寄った記憶があるのだけど‥
2001年だったのだろうか?
2002.8.25.20:24
「さぁ 明日は関西の爺ジ家ですよー」
翌日新幹線で関西の爺ジに会いに。。。
【紗礼さんの原点、爺ジイとご先祖さん】
本家(爺ジ)は成正寺さん
http://temple.nichiren.or.jp/5031002-johshouji/爺ジのお母さんのご先祖(姉妹)さんは金光教(江戸堀)
*1 http://www.tamamizu.org/婆バのご先祖さんは一心寺(四天王寺)
*2 http://www.isshinji.or.jp/*1.爺ジのお母さん(紗礼さんにとっての曾御婆ちゃん)のご先祖さんは3姉妹で切れてしまい後が続かず とーたんが小さい時に後を継ぐ話もありましたが、とーたんがもう少し大きくなったらとーたん自身に決めさせようとしていたらしいです。
しかし とーたんが小さいうちに姓を残していた姉妹(とーたんを可愛がってくれていました)が亡くなり 法律上とーたんの姓が変更出来なくなってしまい爺ジのお母さんの旧姓は途絶えてしまいました。
*2.婆バの旧姓のご先祖さんにも後を継ぐ子孫は途絶えてしまいました。婆バのお父さんはとーたんのコトをとっても気に掛けてくれ(婆バがとーたんに対する育児をいつも心配して)くれました。
*紗礼さんがダイスキだった爺ジとは2002年の夏、阪急芦屋駅改札を最後に・・
婆バとは2003年4月8日での阪急宝塚南口改札を最後に・・
それからずっと会えずまま引き裂かれ・・
そして爺ジと婆バ、紗礼さんは生き別れからそのまま死別となってしまいました・・。
関西の爺ジ:1927年12月15日 - 2009年8年24日 12時41分 (81)
関西の婆バ:1929年7月20日 - 2017年9月30日 20時31分(88)
爺ジ婆バが眠るお墓であり、紗礼さんのご先祖様のお墓はこの代で途絶えてしま事になります。
紗礼さんがおっきくなった時、もし手を合わせに行ってみようと思ってくれたとしても・・
その頃ははたして爺ジのお墓がまだあるのか微妙なトコです・・
もし行きたくなったら無駄足にならない様、先に記したお寺さんに確認してくださいね。
そしてもうひとつ、とーたんのお墓もまずないと言い切っちゃいます・・
その理由はこの紗礼さんへのラブレター(遺言)ブログのメッセージテーマでもあります。
ママは紗礼さんととーたんのご先祖さんに挨拶をしたがらずお墓の場所を知りません・・
それはママのご先祖様にご挨拶しに行きたい事伝えた時でさえ同じでした・・・
家族を築く事、我が子の原点であり生命の誕生、
我が子の誕生の歴史(血筋)、自然の摂理(愛)でさえも阻害否定する精神思考・・
一度、家族を破壊してきた自己愛最優先思想は変わらないのかもしれません。
子どもを授かっても離婚する、親になれない心理は自分が中心(一番)で無ければ許せないのかもしれない・・
家族を守り築き伝える事が出来ない思考なのかもしれないです・・・
それでもそんな状況下であっても とーたんはきみに伝えていきたい・・・
今の生活習慣は紗礼さん本来の遺伝子細胞をも疎外、洗脳させられているのかもしれないけれど
とーたんは紗礼さんの誕生の大切さを慶び築く大切さを伝え繋げていきたい‥
紗礼さん、ごめんね。こんな空間でからしか伝えられないけれど、今残された唯一の方法なのです。
紗礼さんは求められ愛され、永遠に愛されるべくこの世に生命として誕生してきたのです。
紗礼さんは紗礼さん自身が愛し添い遂ぐ夫となる方と共に築き、後(子孫)へ繋げ伝えていってくださいね。
紗礼さん 生まれて来てくれてありがとう そして ごめんね。