命日 ~親父殿とのひと夏~
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- 2014/08/24(Sun) 19:32 -
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![]() 残されたこれからの人生 孫のお陰で生きていける・・と それは希望 1927年12月15日-2009年8月24日 12時41分 永眠 まだとーたんが幼稚園生の頃だったろうか 旅行で行ったのは山陰だったと思う 川のせせらぎが届く旅館 そこは渓流に湧き出る温泉地 川べりの露天温泉ではしゃぐ幼きとーたん 楽しく過ごせたのは親父殿の苦労があったから・・ ちいさなとーたんでも安全に入れる様休まず小さな露天風呂を造ってくれた 「あかんっ こっちきたらあかんぞっ!」 そこはアブの棲み処にもなっていました 親父殿は自分の身を盾に必死でアブを追い払う 他のご家族の子どもたちに向かうアブにも立ち向かう親父殿 親父殿は必死にとーたんたちを守ってくれた アブが見当たらなくなっても周囲を見張る親父殿 「あかんっ また来たっ・・」 一匹でも見かけると立ち上がり追い払う親父殿 親父殿から離れない小さなとーたんをタオルで巻いて守ってくれた 露天風呂をつくる度にアブ軍団が現れる・・ 旅館の番頭さんもアブを追い払いながらスコップで温泉風呂(穴)を作ってくれていた 「どーぞ」 というお声掛けに親父殿は一度周囲を見渡し 他にも家族を確認すると「いやっ他の皆さんが先にどーぞ」 と。 とーたんたちには「もし皆さんの分がまわったら入れてもらいなさい」 と。 気がつくと母と兄はもうすでに番頭さんが造ってくれた露天に浸かっていた。 ![]() 親父殿はいったいいくつの穴を掘ったのだろう ちいさなとーたんは親父殿が造りかけた水たまりの様なちいさな露天風呂を順々に入っていった。 浅くたってぬるくたって最高・・ 親父殿は温泉気分になれなかった筈 親父殿は体中赤く腫上がっていた。 宿の戻るとアブの報告を聞きつけた女将さんが救急箱を持ってきてくださった。 親父殿は言った 今日はちょっと多かったかもしれませんなぁ~(笑) まぁ 自然の中に人間様が入り込んで荒してるんやさかいしょ~がおまへんがな(笑) と。 親父殿は女将の謝罪である気遣いの空間を笑い飛ばした。 そんな渓流温泉場での記念写真は今はもう見当たらない・・ 親父殿と幼き頃のとーたん、家族旅行写真はない・・ もう家族アルバムが増える事もない・・ ![]() 函館からフェリーで青森へ 12年前の今頃はたしか青森駅周辺でお土産散策していた 北海道旅行からママの実家宇都宮の爺ジ婆バのお家へ、 そして東京のお家へ一旦帰って新幹線で関西の爺ジに会いに。。。 たとえ親父殿の姿はなくなっても ボクの中では永遠に生き続け 親父殿の匂いでさえを憶えています 愛する父 ボク そして孫 子孫へと・・ この祖なる繋がり歴史は誰にも変えられない・・ 親父殿から孫、未来への繋がりへ・・ ![]() 爺ジと孫紗礼の最後の時間 今 親父殿の想いを子どもたち家族へ伝えられなくなった愚かな息子 生き別れから死別へと ごめんなさい・・ 申し訳ありません・・・ 永遠なる 親愛なる 親父殿へ 1927.12.15 - 2009.8.24... そしてこれからも ![]() 少し高台になった沿道にはご近所さんがいっぱい この方角は調布の花火大会かな・・ 紗礼さんが生まれた年、翌年の1歳を迎えた年は秋だったという開催記録 その頃暮らしていたマンションのベランダからは調布の花火大会は見えなかったと思う それでも埼玉方面や北西側の花火大会はベランダから見えていたと思う きっといくつもの町の花火大会のオトと振動は受け取ってくれていたと思う そして生き別れた年はその月、7月だったらしい とーたんには花火の記憶はない・・ 2014年の夏休み どんな風に過ごせたのかな・・ 今日が夏休み最後の日になる学校もあるみたいだね 夏休みは最後でも まだもう少し夏休みでも 明日を歩くための今日をきみのリズムで繋いでおくれ |
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