限られた開拓地 ~ 16年へのカウントダウン ~
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- 2019/07/06(Sat) 13:30 -
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![]() October 3, 2003, 13:29 ![]() October 2, 2003, 13:14 ![]() October 3, 2003, 13:35 ![]() August 13, 2005, 17:56 ![]() July 23, 2004, 18:29 ![]() July 23, 2004, 18:28 ![]() July 23, 2004, 14:26 ![]() July 23, 2004, 18:27 ![]() May 25, 2005, 13:41 ![]() October 2, 2003. 13:23 ![]() October 3, 2003, 13:27 ![]() July 23, 2004, 16:29 ![]() October 2, 2003, 12:55 ![]() August 23, 2002, 14:33 ![]() (画像は2002年8月、2003年10月、2004年7月、2005年5月) * Blake Shelton "God's Country" ▸ Devin Dawson ver. * Dierks Bentley ft. S. Carey "Hold The Light" (From "Only The Brave") * Little Big Town "Better Man" ▸ Chase Bryant (Man in the story version) * 安全地帯 "地平線を見て育ちました。" * Train "Drops of Jupiter" ▸ With Confidence ver. * Journey "Faithfully" ▸ ft. Keith Urban's Raise 'Em Up Live Tour People "FAITHFULLY!!" (Remix) * 皆と解散した後、ママに本日の結果報告伝えた 移住者歓迎ムードの町ではあるが現実移住できるのは 子どもが離れた都会からのリタイヤ組か上富の自衛隊員ぐらい・・ それこそ子連れの若夫婦が移住し根を生やすのは珍しいのかもしれない 移住者にとっての子育て施設や仕事はこの町にはないに等しい 旭川に出ても難しい この雪国である土地の大半を占める農家だって大変 春になりまだ残る雪面、斜面農地にスノーモービルで融雪剤を撒き、 イタリア製のスーパーカーならぬ同社製の斜面を得意とするスーパートラクターで耕し収穫する 少々の丘ならアメ車トラクタでもこなせるようだがそれでも機材費負担が想像を絶する 当然、移住者へのお膳立てにも勿論限界はある。 畑には不向きな波状丘陵で岩を一日に数センチずつ移動させコツコツと開墾してきた歩みと歴史の町。 先代からの農地、住居はあるものの住まいは旭川へ移り住み、通い農家も少なくないとよく耳にした 明治維新、国から土地を譲り受け内地から多くの人々が入植しコツコツと開墾、開拓してきた土地(町) 農地を拡げ国からの低利子無利子の借金期限も終わり多くの農家が土地を手放さざるを得なくなったりと・・ 20年位前だったろうか まだその期日まで猶予があった時でも既に 農地(家)を継いでくれるなら無償で土地を譲ってもいい・・ そんな話が東京のとーたんの耳に入ることさえもあった・・ 農家さんたちの考えも様々、勿論移住者間でも様々な意見がある・・ この町では暮らしにくい(暮らしづらくなった)・・ 個々考えは色々あるがそんな実情が大きく、役場やJA、商工会も頭を抱えるところの様だった。 出来たての政府の元とはいえ一個人である先代たちが開墾し開拓してきた土地が資産の町、 この自然資源(土地)に限りがあるかどうかは使いかた次第・・ 観光だ企業受け入れ大歓迎と目先に走って自滅してきた町も数知れない・・ 知名度もあり観光人口があっても現実は観光経済は素通り・・ それを良くとるか勿体無いと取るか 後の世代へと継ぐためにはどう共存(生かす)すべきなのか・・・ 一歩課題を間違えると答えも見過ごしてしまう・・ ※あくまでも2003年までの話しです。 * * * 2003年7月6日(日) あの頃、自治体としては移住者大歓迎でも受入れの体制は伴っていなかった・・ 育児教育は逆の路線を辿っていた (現在も大差ないと聴きます) 幼児の受け入れは追いつかず、驚く数の待機状態にはさすがに予想外だった とーたんのいいなと思った小学校3校の内、2校はその年度で廃校と役場から聞いた その予定通り翌春から順次休校、実質廃校へとなってしまった・・ ママはのお気に入りは後に修理不能と判断 駅近の物件は売りは駄目、借りるにも自前での修理に数百万と掛かり過ぎる事が解った・・ とーたんの一番のお気に入り、紗礼さんも気に入ってくれた場所はママにとっては却下だった。 この日、旭川(美瑛出身)のイシザキくん、富良野の仲間たちや知人たちが物件を見てくださった。 週一の大切な休日を家族みんなで見てくれたり、徹夜仕事明けで来てくれたりと・・ 感謝で頭が上がらない。 「富良野に来なよー」 「旭川でいいんでないかい?」 「ひと家族分位なら仕事場は何とかするから問題ないっしょっ」 「移住なんて人生の第一歩、建物も基礎から手作りで建てればいいんでないかい」 「ウチの家は自分で設計図引いたんだよ」 「砂利(基礎)ならいくらでも任せて」 「俺は大工だぜ」 「ワタシは板金屋(建築)ョ」 「ボ・ボクはコック だ か ら・・・」(笑) 「この地に拘らなくてもいいんでないかい」 と あちこちから有難過ぎるお言葉を頂くと感謝を越し開いた口が塞がらなかった。 * そんな地でママと紗礼さんも一緒に居た日、 移住されてきた若夫婦からも心強い助言を頂いていた。(先に触れた若御夫婦) 数年間、風呂なしの町営住宅暮らしから始まり、 そしてこの町でご夫婦共にアルバイトをして住人の信用を得ていったという 子が生まれ そして農家を継ぐわけでもないのに農地を分けて貰い、 この地で出逢った仲間たちの手助けで基礎から家屋を建てられ 今(2003年当時)も旦那さんはアルバイトと空いた日は手に職持つ腕で別のアルバイトであちこちへ遠征されるらしい 夏場シーズンは奥様筆頭の自営(女子数名のアルバイト)で今日という日を忙しく精一杯今をエンジョイされておられる そしてそれは有難く今を子どもたちと共に生活していると。 * 結果的にはママが候補にしていた物件は全滅、皆から猛反対だった。 電話向こうからの第一声 「なんでよっ!!!」 そのヒステリックな声はあまりにかなしかった・・ そしてとーたんはさすがに怒った とーたんに対して否定批判、誹謗中傷するならいい ただ皆は時間を割いて 紗礼、そして貴女の身になった上で判断してくださったんだと。 まず皆さんに感謝の気持ちを表すべきでしょう、と。 言ったら言いっぱなし、自分の発言や行動に責任を負わず他人任せの行動 自身で解決に向けての行動をせず、口先だけでは何も学んでいない生き方 ひとつひとつ自分の指先で事を積み上げていなければ歩みに中身はない 人の背に隠れ人を楯にした自己アピールでは事は進まないんです 自責の念を持てず物事の順序中身を飛ばした都合の良い上辺だけのコピペで生きていては 事の運びを自身の手で積み上げていかなければ思い通りにならない時にヒステリーを起こしてしまう 何事も自己中心には物事は運ぶわけでなく思い通りにはならない・・ 散々人に自身をアピールしつつも常に逃げ道をつくっている発言と行動は 思い通りに事が進まないと自身の不都合に口を閉じ 自己アピールは一転し私は被害者です、と他責化し 人を陥れる姿(身の振る舞い)として露わに出てくる・・・。 物事には順序があります 礼にはじまり 礼に終わる念を身につけていないその姿は あまりにかなしすぎる・・ あまりに貧しすぎる・・・ |
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